的場寛壱まとばかんいち
元プロ野球選手[日本]
1977年 6月17日 生 (満47歳)
的場 寛一(まとば かんいち、1977年6月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(内野手)、野球指導者・監督。
右投右打。
大学時代および阪神時代の2000年から2004年までの登録名は「的場 寛壱」。
経歴=
プロ入り前=
尼崎市立八幡幼稚園卒園後は尼崎市立杭瀬小学校、尼崎市立若草中学校に進学。
小中学時代は祖父が設立したチームであるボーイズリーグの兵庫尼崎に在籍。
高校進学は愛知県の弥富高等学校(現愛知黎明高等学校)。
後に沖縄尚学高を選抜優勝に導く金城孝夫監督に引っ張られスポーツ推薦で進学。
1年からレギュラーとして出場し秋季東海大会8強、3年夏は愛知大会4強入りしたが上坂太一郎らを擁して甲子園出場する享栄高に大差で敗れ、最後は登板している。
高卒後の進路について的場本人は、「羽振りが良さそうだから」との理由で美容師を志望していたが、金城監督に猛反対され、家族の後押しもあり大学進学に変更した。
後述の通り九州共立大が進学先となったが、これには大学野球界の名将である同大学の仲里清監督が的場の入部を熱望し、事前に金城監督と大学側に話を通していたお膳立てがあった。
なおこの時、中日ドラゴンズが的場の下位指名を検討していたという。
1996年に福岡六大学野球連盟所属の九州共立大学の経済学部に進学。
遊撃手を務め、1998年の3年春リーグ戦で首位打者を獲得し、第33回IBAFワールドカップ日本代表に選 ……
的場寛壱さんが誕生してから、47年と157日が経過しました。(17324日)