大倉喜七郎おおくらきしちろう
帝国ホテル元社長[日本]
1882年 6月16日 生
1963年 2月2日 死去享年82歳
大倉 喜七郎(おおくら きしちろう、1882年〈明治15年〉6月16日 - 1963年〈昭和38年〉2月2日)は、大倉財閥2代目総帥。
男爵。
東京生まれ。
長唄の名を聴松。
父は大倉財閥創始者の大倉喜八郎。
異母弟の大倉雄二(1919年〈大正8年〉 -1991年〈平成3年〉)は父喜八郎・兄喜七郎の回想・評伝を3冊執筆している。
来歴=
父喜八郎の事業を引き継いで財閥の発展につとめ、戦後の公職追放、財閥解体などの難局に直面しながらも、特にホテルオークラ、川奈ホテル、赤倉観光ホテルをはじめとする、日本のホテル業に大きな足跡を残した。
気さくで気前がよく、派手好みなハイカラ男爵だったため、周囲からは「バロン・オークラ」と呼ばれて親しまれていた。
1910年12月、日本人による日本国内での飛行機の初飛行が成功。
翌1911年5月、米国人のJ.C.マースが乗る飛行機と、大倉のフィアット(100馬力)のスピード・レースが川崎競馬場で早くも開かれ、大倉はマースの飛行機に勝った。
大倉集古館の理事長職を長年つとめるなど文化事業にも功績があり、日本屈指の趣味人として囲碁、音楽、舞踊、ゴルフ、カーレースと多彩な才芸を発揮した。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学を卒業。
その後1900年、イギリス・ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに留学。
間もなく自動車の操縦はもとより修理技術まで習得、サリーのブルックランズ・サーキットで最初に開催されたカーレ ……
大倉喜七郎さんが誕生してから、142年と158日が経過しました。(52024日)
亡くなってから、61年と294日が経ちました。(22574日)
29450日間 生きました。