生年月日データベース

高津慶子たかつけいこ

女優[日本]

1912年 2月13日

没年不詳
高津慶子 - ウィキペディアより引用

高津 慶子(たかつ けいこ、1912年2月13日 - 没年不詳)は日本の元女優。
本名は池田 本子(いけだ もとこ)。
来歴・人物= 1912年(明治45年)2月13日、大阪府大阪市西成区天下茶屋に生まれる。
1918年(大正7年)、一家と共に東京府東京市本所区緑町(現在の東京都墨田区緑及び亀沢辺り)に移り、小学校へ通う傍ら花柳流の舞踊を習う。
ところが1921年(大正10年)、大阪府大阪市南区高津7番町(現在の同府同市中央区)に移住する。
芸名の高津慶子はこの町名「高津」と父・慶一の「慶」を取って付けたものである。
1927年(昭和2年)3月、大阪松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)へ入り、『春のおどり』等の舞台に出演した。
1929年(昭和4年)7月、帝国キネマに招かれて長瀬撮影所へ入社し、松竹と連携して製作された鈴木重吉監督映画『恋のジャズ』に牧英勝の相手役で映画デビューを果たす。
以後、鈴木監督作品を中心に多くの作品に出演するが、1927年(昭和2年)に築地小劇場で山本安英が主演を務めた『何が彼女をさうさせたか』のヒロイン・中村すみ子役に抜擢され、資本主義社会のカラクリに翻弄されて苦難の道を辿り、終いには放火犯にまで転落する少女を鈴木監督の下で熱演。
この作品が5週間続映となり、帝国キネマにとっては1924年(大正13年)の松本英一監督映画『籠の鳥』以来の大ヒットとなり、「何が○○をさうさせたか」という文句が全国に席捲し、ベスト・テンで1位になるとい ……

高津慶子さんが誕生してから、112年と282日が経過しました。(41190日)

推定関連画像