若原雅夫わかはらまさお
俳優[日本]
1917年 1月1日 生
没年不詳
若原 雅夫(わかはら まさお、1917年1月1日 - )は、日本の俳優。
1940年代から1950年代前半にかけて、数多くの映画作品に出演し、そのルックスから「和製シャルル・ボワイエ」と称された。
来歴=
幼少期=
出身地は東京市牛込区。
1917年(大正6年)1月1日生まれ。
児玉家の姉の次に長男として生まれ、父の「生命長く、男として立派なものになるように」との願いから「稔」と命名される。
家業は映画館経営。
東京、北海道小樽市、福島県郡山市などで経営。
そのため、幼児の時から映画に興味を覚え、父が経営する映画館で、映画を観ることに親しんだ。
小樽には4歳まで生活し、そのあと福島県郡山市を経て、7歳の時、学校へ入るため再び上京し、以後、学生時代を東京の学校で過ごした。
彼の自伝「私の歴史」 によれば、彼が学問の必要性を感じたのは、小学校4年生の時であったと言う。
彼はその年、下落合の家から豊島区に転居して、直ぐに長崎小学校に入学した。
その頃から猛烈に勉強を始めた。
それは、「少しでも良い成績をとって、良い学校に入学したいという欲望が湧いてきたから」だと言う。
その結果、5~6年生では頑張って優秀な成績を収めて級長になり、市立二中に好成績で入学できたと言う。
学生時代から新興キネマ=
府立二中から、大学進学を志望していた時、父の事業が不振に陥ったため、親の経済援助を当てにすることは出来ないと考えた。
そのため、叔 ……
若原雅夫さんが誕生してから、107年と337日が経過しました。(39419日)