生年月日データベース

松平斉民まつだいらなりたみ

美作津山藩主[日本]

(文化11年7月29日生)

1814年 9月12日

1891年 3月23日 死去享年78歳
松平斉民 - ウィキペディアより引用

松平 斉民(まつだいら なりたみ)は、江戸時代後期の大名。
美作津山藩8代藩主。
確堂の号で知られる。
生涯= 11代将軍・徳川家斉の十五男として誕生した。
12代将軍徳川家慶の異母弟にあたる。
文化14年(1817年)9月18日、津山藩主・松平斉孝の養嗣子となる。
文政5年(1822年)2月1日、御目見。
文政7年(1824年)3月28日、元服して父・家斉より偏諱を受け斉民と名乗り、従四位上・侍従・三河守に叙任する。
文政9年(1826年)12月、左近衛権少将。
のち正四位上・左近衛権中将、越後守。
天保2年(1831年)11月22日、養父の隠居により家督を相続する。
天保3年(1832年)4月19日、初入国する。
以後、藩の財政再建や教育の普及などに力を注いだ。
安政2年(1855年)5月3日、養子の慶倫(斉孝の四男)に家督を譲って隠居し、確堂と称する。
文久3年(1863年)4月、津山に隠居した斉民に対し、幕府は毎年1万俵の隠居料を給したが、これは将軍・家斉の実子という理由の他に、誠実な性格で将軍家において人望が厚かったためとされる。
慶応元年(1865年)3月、江戸に出府する。
維新の動乱の際は、勤皇、佐幕の方針をめぐって藩内は混乱したが、斉民の力をもって勤皇に統一した。
慶応4年(1868年)5月3日、江戸開城に伴い新政府より田安亀之助(徳川家達)の後見人を命じられ、その養育に尽力した。
明治14年(1881年)12月、従三位に昇進する。
明治15年(1882年)6月、麝香間祗候。

松平斉民さんが誕生してから、210年と199日が経過しました。(76902日)
亡くなってから、134年と7日が経ちました。(48951日)
27951日間 生きました。