生年月日データベース

石井岳龍いしいがくりゅう

映画監督[日本]

(旧芸名・石井聰亙)

1957年 1月15日 生 (満68歳)

石井 岳龍(いしい がくりゅう、1957年〈昭和32年〉1月15日[1] - )は、日本の映画監督。
改名前の石井 聰亙(いしい そうご)の名で広く知られている[2]。
2006年から神戸芸術工科大学で教授として教鞭をとる[3][4]。
2023年退官。
略歴= 福岡県福岡市出身[1]。
福岡県立福岡高校卒業。
日本大学芸術学部中退[4]。
大学入学直後(1976年)に学生による自主映画グループ「狂映舎」を設立[3]。
8mm映画デビュー作『高校大パニック』[注釈 1]で注目される。
1978年に同作を日活がリメイクした『高校大パニック』を澤田幸弘と共同監督するが、実質的には何もできなかったという[2]。
1978年、『突撃!!博多愚連隊』がぴあフィルムフェスティバルに入選。
同年の入選者に、森田芳光、長崎俊一らがいる。
1980年、長編『狂い咲きサンダーロード』を劇場公開。
インディーズ界の旗手として名前が挙がる[3]。
1982年、自主映画活動の集大成的な作品『爆裂都市 BURST CITY』を発表。
同年、長谷川和彦に誘われディレクターズ・カンパニーの設立に参加[5]。
1984年、商業映画としては初の単独監督作『逆噴射家族』を発表。
翌年のベルリン国際映画祭で注目され、イタリアの第8回サルソ映画祭でグランプリに輝く[2] など、国内のみならず海外でも高い評価を受ける[3]。
また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』 ……

石井岳龍さんが誕生してから、68年と167日が経過しました。(25004日)

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