生年月日データベース

九鬼周造くきしゅうぞう

哲学者[日本]

1888年 2月15日

1941年 5月6日 死去腹膜炎享年54歳
九鬼周造 - ウィキペディアより引用

九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者。
京都帝国大学教授。
出身は東京府東京市。
東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業、京都帝国大学文学博士。
実存哲学の新展開を試み、日本固有の精神構造あるいは美意識を分析した。
日本文化を分析した著書『「いき」の構造』(1930年)で知られる。
ほかに、『偶然性の問題』(1935年)など。
人物・経歴= 父は明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一。
祖先は九鬼水軍を率いた戦国武将の九鬼嘉隆。
母の九鬼波津子は周造を妊娠中に岡倉覚三(天心)と恋におち(隆一は岡倉の上司であった)、隆一と別居(のち離縁)するという事態となった。
生みの父・隆一、精神上の父・岡倉、そして喪われた母という、この3人のはざまで幼少期・青年期の周造は成長していくこととなり、それは後の精神形成にも大きな影響を与えることとなったと考えられる。
九鬼は子供の頃、訪ねてくる岡倉を父親と考えたこともあったと記している。
1904年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
第一高等学校独法科に進むも文科に転じる。
東京帝国大学文科大学哲学科ではラファエル・フォン・ケーベルに師事した。
大学院中退後、妻とともに1921年よりヨーロッパ諸国へ足かけ8年間留学する。
初めドイツに渡り、新カント派のハインリヒ・リッケルトに師事するが、それで ……

九鬼周造さんが誕生してから、136年と279日が経過しました。(49953日)
亡くなってから、83年と199日が経ちました。(30515日)
19438日間 生きました。