生年月日データベース

白井佳夫しらいよしお

映画評論家[日本]

1932年 4月29日

2024年 10月5日 死去虚血性心疾患享年93歳

白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 - 2024年10月5日)は、日本の映画評論家。
来歴= 神奈川県川崎市出身。
1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。
<<1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・上森子鉄が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。
>> 上記の<<>>の記述が「通説」として当該項目にあったが、『キネマ旬報の100年』(キネマ旬報社、2024年刊行)に掲載された白井へのインタビューによると、白井が解任された経緯は異なる。
1976年、竹中労の連載「日本映画縦断」のページに、「フィリピンで死んだ山上伊太郎の地蔵をその終焉の地に建立しようという」ツアーの募集記事がキネマ旬報社の主催として掲載されたことにより、白井がオーナーの上森子鉄の怒りをかい、1976年11月11日に上森から解任をつげられた(同書、P.73)。
また、「通説」として上記に記載されていた「「日本映画縦断」の打ち切り」については、1977年に次代編集長・黒井和男の代に起きたことである(同書、P.134)。
1984年にスポーツニッポンに連載された「現代のドン・キホーテ角川春樹物語」での角川春樹の暴露によれば、1976年に角川が『犬神家の一族』で映画界に参入する際、この映画をどうしても成功さ ……

白井佳夫さんが誕生してから、93年と62日が経過しました。(34030日)
亡くなってから、268日が経ちました。
33762日間 生きました。

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