濱谷浩はまやひろし
写真家[日本]
1915年 3月28日 生
1999年 3月6日 死去享年85歳
濱谷 浩(はまや ひろし、1915年3月28日 - 1999年3月6日)は、戦前戦後を通じての日本の写真家である。
主として、報道写真系統の作品、特に、日本(人)を対象とする写真を多く撮影した。
日本人初のハッセルブラッド国際写真賞受賞者。
田中雅夫(写真評論家)は兄。
デューク・エイセスの槇野義孝は甥。
また写真家の桑原甲子雄は隣家の幼なじみで、若き日ともに写真に親しんだ。
人物・来歴=
東京市下谷区出身。
関東商業学校(現・関東第一高等学校)在学中から、写真部をつくるなど写真に熱中する。
1933年に同校を卒業後、二水実用航空研究所で航空写真家として活動を開始する。
同年、敬愛する写真家・渡辺義雄のいたオリエンタル写真工業に入社。
1930年代は東京を対象とするモダンな作品を制作していた。
1937年、フリーのカメラマンとして独立。
翌年には瀧口修造、兄の田中雅夫らと前衛写真協会を、また土門拳、林忠彦らとともに青年報道写真研究会を結成する。
1939年にグラフ誌の取材で新潟県高田市(現・上越市)を訪れ、民俗学者の市川信次や渋沢敬三と出会う。
翌年、新潟県中頸城郡谷浜村(現・上越市桑取谷)の小正月の民俗行事を記録するなど、以後10年にわたり同地での撮影を続ける。
民俗写真についてはアチック・ミューゼアムを主宰していた渋沢敬三の強い影響があった。
1941年、東方社に参加。
対外宣伝誌『FRONT』のため陸海軍関係の撮影に従事す ……
濱谷浩さんが誕生してから、109年と239日が経過しました。(40051日)
亡くなってから、25年と261日が経ちました。(9392日)
30659日間 生きました。