生年月日データベース

小堀杏奴こぼりあんぬ

作家[日本]

1909年 5月27日

1998年 4月2日 死去享年90歳

小堀 杏奴(こぼり あんぬ、1909年〈明治42年〉5月27日 - 1998年〈平成10年〉4月2日)は、日本の随筆家。
東京府出身。
経歴= 森鷗外と後妻・志げの間の次女として東京市本郷区千駄木町(現・東京都文京区千駄木)に生まれた。
1913年(大正2年)12月1日、仏英和高等女学校の幼稚園に入園。
1915年(大正4年)、仏英和尋常小学校に入学。
しかし、弟類が誠之尋常小学校になじめず、たびたび杏奴のいる仏英和尋常小学校に来たため、4年生のときに類の通う誠之尋常小学校に転校した。
当時、類が通学路で他校の児童からいじめられそうになると、持ち前の気の強さから「うちの弟をどうするのよ」といじめっ子たちを板塀に押しつけて類をかばい、類の友人の間で尊敬されていたという。
仏英和高等女学校に進学した1922年(大正11年)7月、父が死去。
1927年(昭和2年)、同校を卒業。
1931年(昭和6年)、類とともに画家藤島武二に師事。
同年11月、類と一緒にフランスに渡り、パリで洋画を学ぶ。
1934年1月に帰国。
同年11月、藤島武二の仲人で画家小堀四郎と結婚。
1936年(昭和11年)2月、岩波書店から『晩年の父』を刊行。
同年3月3日に長女・桃子が誕生し、翌4月11日に母が死去。
1938年(昭和13年)2月5日に長男・鴎一郎が誕生し、同年11月に編著『森鷗外 妻への手紙』を刊行。
1945年(昭和20年)、長野県立科町に疎開。
1958年(昭和33年)、カトリック入信。
1984年(昭和59年)、夫と長 ……

小堀杏奴さんが誕生してから、115年と178日が経過しました。(42182日)
亡くなってから、26年と233日が経ちました。(9730日)
32452日間 生きました。