黒田了一くろだりょういち
憲法学者、政治家[日本]
1911年 3月16日 生
2003年 7月24日 死去享年93歳
黒田 了一(くろだ りょういち、1911年〈明治44年〉3月16日 - 2003年〈平成15年〉7月24日)は、日本の法学者(憲法)・政治家・弁護士。
大阪府知事(2期)。
憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員。
略歴・人物=
学生〜憲法学者時代=
大阪市北区大淀町生まれ。
旧制北野中・旧制三高から東北帝国大学法学部法律学科を卒業後、東北帝国大学法学部助手を経て満州国高等鉄路警護学校教官などを歴任。
終戦後5年間シベリア抑留を経験し、1950年(昭和25年)に帰国。
大阪市立大学法学部助教授に就任し、憲法学を担当した。
1956年に教授に昇任し学生部長・法学部長を歴任、日本学術会議「学問・思想の自由」委員会委員長・日本科学者会議全国参与・大阪護憲連合代表委員なども務めた。
大阪府知事へ=
1971年の大阪府知事選挙に日本社会党と日本共産党の支持を受けて、現職の左藤義詮に挑む形で立候補した。
このとき、社共共闘がなかなかまとまらず、正式な出馬表明は告示日11日前までずれこんだ。
もともと黒田は候補者選定をおこなう立場であったが、擁立側の意中の人物(宮本憲一ら)に相次いで固辞されたことから、周囲の勧めもあり立候補に踏み切ったものである。
出馬にあたり社会党の亀田得治大阪府本部委員長と共産党の村上弘大阪府委員長と記者会見を行い、「このまま出馬を拒むなら革新諸勢力の統一の機運は一気にくずれ、大阪の公害は深刻化し、世界の諸都市に先がけ大阪がゴー ……
黒田了一さんが誕生してから、113年と251日が経過しました。(41524日)
亡くなってから、21年と121日が経ちました。(7791日)
33733日間 生きました。