栗田勝くりたまさる
元競馬騎手、調教師[日本]
1932年 3月11日 生
1980年 1月16日 死去心停止享年49歳
栗田 勝(くりた まさる、1932年3月11日 - 1980年1月16日)は、愛知県岡崎市出身の元騎手・元調教師。
息子の栗田伸一は元騎手・調教助手であったが、父同様に若くしてこの世を去っている。
来歴=
子沢山な地方公務員の11人兄弟の下から二番目として誕生し、公務員である父の担当が地元にあった岡崎競馬場の管理であった事や、幼くして母と死別してから母代わりとなった姉が調教師の妻だった事から、幼少期から競馬と接した栗田は騎手を目指す事となった。
1946年に京都・武田文吾調教師に弟子入りし、一旦松田由太郎厩舎に移籍したが、再び武田厩舎に戻って1951年にデビュー。
初騎乗は6月16日のミスヨシ(7着)で、初勝利はデビュー3ヶ月後の9月15日・ノーベルと手間取った。
その後も武田厩舎には佐藤勇を筆頭に名騎手揃いであった事から騎乗馬に恵まれず、8勝→14勝→27勝と勝ち鞍こそ増やしていったが、3年目の1953年までは苦戦傾向であった。
ところが、武田厩舎の主戦騎手・佐藤騎乗のレダが毎日王冠で骨折転倒、佐藤は負傷して戦列を離脱してしまう。
栗田はその佐藤の穴を埋めた事で頭角を現し、1954年には平地の騎乗に専念し始め、1955年の日本経済新春杯・フジミツルで重賞初制覇。
佐藤引退後の1956年からは武田厩舎の主戦騎手として活躍し、ほぼ同時期に2歳年下の武田師の娘・英子と結婚。
武田厩舎の主戦騎手になってからは、五冠馬シンザン・快速二冠馬コダマ・牝馬二冠馬ミスオ ……
栗田勝さんが誕生してから、92年と255日が経過しました。(33858日)
亡くなってから、44年と310日が経ちました。(16381日)
17477日間 生きました。