福永洋一ふくながよういち
元競馬騎手[日本]
1948年 12月18日 生 (満75歳)
福永 洋一(ふくなが よういち、1948年12月18日 - )は、高知県高知市出身の元騎手。
※兄の福永甲、福永二三雄、福永尚武や息子の福永祐一と区別するため、本文中はとくに「洋一」と表記する。
松尾翠は義理の娘(祐一の妻)にあたる。
経歴=
少年時代=
実家はかつて土地一帯の地主であったが、太平洋戦争後にGHQが発令した農地解放政策などにより没落し、洋一出生時には困窮を極めていた。
父は放蕩癖のある人物であり、洋一の5歳時の1953年の夏に母が失踪し、以降は姉により育てられた。
その姉は高知競馬場所属の騎手・松岡利男と結婚し、福永家と競馬界との関係が築かれた。
次いで長兄・甲が中学卒業後に京都・武平三厩舎に入門、次兄の二三雄が大井、三男の尚武が船橋で騎手となった。
一人残った四男の洋一はそのまま高知で父と暮らしていたが、父は1957年に脳溢血で死去。
これを受け、洋一は姉が嫁いだ松岡家に身を寄せた。
以降の少年時代は、高知競馬場内の厩舎で手伝いをしながら過ごした。
1960年に高知市立潮江中学校に入学すると、この頃から「将来は騎手になる」という目標を口にするようになり、中学3年の頃には甲の師匠・武平三を頼って京都府に移り、後に馬事公苑でも同期生となる武永祥と京都市立桃陵中学校に通った。
中学卒業を控えた1963年秋、永祥と共に馬事公苑騎手養成長期課程を受験。
合格後の入所式では、平三が永祥と洋一、双方の保護者として出 ……
福永洋一さんが誕生してから、75年と338日が経過しました。(27732日)