生年月日データベース

栃木山守也とちぎやまもりや

相撲力士・第27代横綱[日本]

1892年 2月5日

1959年 10月3日 死去享年68歳
栃木山守也 - ウィキペディアより引用

栃木山 守也(とちぎやま もりや、1892年2月5日 - 1959年10月3日)は、栃木県下都賀郡赤麻村(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。
第27代横綱。
本名は中田 守也(なかた もりや)(旧姓:横田)。
来歴= 妻を残して単身上京= 1892年2月5日、栃木県下都賀郡(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)の農家に長男として生まれる。
遅くに誕生した男子だったことで「家を守り立てて欲しい」との願いから“守也”と名付けられた。
幼少期から家業を手伝いつつ漢学塾に通いながら、自宅近所にあった岩船山の石を人力トロッコで渡良瀬川へ運ぶ仕事に従事し、強健な体になる。
17歳で結婚するが、18歳の時に妊娠中だった妻を残して上京し、出羽ノ海部屋に入門する。
歴代横綱の中で、自ら志願して角界入りした者は非常に珍しい。
入門の動機としては「鉱毒によって衰える郷里に絶望した」とも「親の決めた許婚者と性格が合わなかった」とも言われるが、栃木山自身が入門の経緯を最期まで話さなかったためはっきりしていない。
「近代最強力士」へ= 1911年2月場所に序ノ口で初土俵を踏むと負け知らずのまま番付を上げ、1913年5月場所の幕下まで21連勝を記録した。
入幕までに喫した黒星は僅か3のスピード出世だったにもかかわらず、栃木山の軽量さから出羽ノ海からもほとんど顧みられず、幕下にあがったころ稽古場で「あの小さいの(栃木山)、えらく強いが、あんなの ……

栃木山守也さんが誕生してから、132年と289日が経過しました。(48502日)
亡くなってから、65年と50日が経ちました。(23791日)
24711日間 生きました。

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