野崎勝義のざきかつよし
阪神タイガース 元社長[日本]
1942年 1月27日 生 (満82歳)
野崎 勝義(のざき かつよし、1942年1月27日 - )は、日本の実業家。
元阪神タイガース球団社長。
経歴=
兵庫県西宮市出身。
神戸市外国語大学外国語学部英米語学科を卒業して、1965年に阪神電気鉄道に入社した。
入社後は同社航空営業部(現・阪急阪神ビジネストラベル)に配属され、航空営業一筋に歩む。
1996年同社航空営業部本部旅行部長から阪神タイガースへ出向、同球団の常務取締役に就任した。
以降、選手の給与査定改善や球団フロント改革に務める。
「タイガースなんてちっちゃい会社。
強い、弱いと騒がんでええ」と成績を気にしなかったオーナーの久万俊二郎を説得し、野崎が役員に就任した1996年、球団が赤字になったことを契機に久万は電鉄本社からの資金提供を認めた。
1998年には球団本部長・専務となる。
チーム再建には監督を外部から招聘する以外はないと考えた野崎は、西本幸雄やメジャーリーグ2000勝のスパーキー・アンダーソンらに声をかけた。
特にアンダーソンは自ら交渉へ出向き、契約合意寸前にまで取り付けた(結果、アンダーソン夫人の猛反対に遭い破談となった)。
1999年から、野村克也が監督に就任する。
2001年、球団社長に就任。
同年で野村が退任すると、中日監督を退任したばかりの星野仙一を後任の監督として招聘した。
2003年には公式ファンクラブを発足させ、発足式では自ら景品のナンバージャージ(ユニフォーム・スタイルの応援服) ……
野崎勝義さんが誕生してから、82年と298日が経過しました。(30249日)