生年月日データベース

北川民次きたがわたみじ

画家[日本]

1894年 1月17日

1989年 4月26日 死去享年96歳
北川民次 - ウィキペディアより引用

北川 民次(きたがわ たみじ、1894年1月17日 - 1989年4月26日)は、静岡県榛原郡五和村牛尾(現:島田市牛尾)出身の洋画家。
二科会会長(1978年)。
アメリカ合衆国とメキシコに計22年間滞在し、高まりを見せていたメキシコ壁画運動などのメキシコ絵画の影響を受けて力強い作風の作品を残した。
児童美術の教育者としても活動した。
生涯= 学生時代= 民次(左)と母親と兄 1894年(明治27年)1月17日、静岡県榛原郡五和村牛尾(現・島田市牛尾(五和地区))に生まれた。
父親は幸次郎、母親はきく。
異母兄2人、異母姉1人、異腹姉1人、実兄2人、実姉1人がおり、民次は五男だった。
地主でもある北川家は製茶業を営んでおり、アメリカ合衆国への日本茶の輸出も手掛けていた。
小学校卒業後には静岡県立静岡商業学校に進学し、江戸時代の軟文学を読み漁ったり、女義太夫を観に芝居小屋に出向いたりした。
1910年(明治43年)に静岡商業学校を卒業し、早稲田大学商学部予科に進学して高田馬場に下宿した。
早稲田では後に詩人となる秋田雨雀の知遇を得たほか、予科で上級だった宮崎省吾(フュウザン会出品画家)に手ほどきを受け、1912年(大正元年)頃に絵を描き始めた。
早稲田の英文学の教員には北川と同郷の本間久雄がおり、宮崎の同郷の椿貞雄とも知り合った。
アメリカ時代= ニューヨークで師事したスローン 1914年(大正3年)に早稲田大学を中退して横浜港から渡米した。
まず ……

北川民次さんが誕生してから、130年と307日が経過しました。(47790日)
亡くなってから、35年と209日が経ちました。(12993日)
34797日間 生きました。