秋山光和あきやまてるかず
美術評論家[日本]
1918年 5月17日 生
2009年 3月10日 死去老衰享年92歳
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者。
日本美術史専攻。
東京大学名誉教授。
来歴=
京都市下京区(現、東山区)に父秋山光夫と母花枝の長男として生まれる。
父は金沢美術工芸大学学長の美術史家、母の花枝は堀口九萬一の娘で堀口大學の妹。
妻日出子は前田青邨の三女であり、秋山は青邨の画業が後世に残るよう美術史家の立場で纏めることとなった。
長男秋山光文はやはり美術史家でお茶の水女子大学教授。
父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移ると、やがて私立暁星小学校に入学。
母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっており、1931年(昭和6年)、旧制東京高等学校尋常科に進むと同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業、一時は外交官を志した。
1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学、1941年同科卒業、7月に文部省美術研究所に嘱託として職を得たのちに徴兵され、翌年1月、海軍予備少尉に任官、海軍予備大尉で終戦を迎える。
戦後は同研究所嘱託に復職、1948年4月より東京国立博物館研究員。
1950年にフランスに留学し(戦後初のフランス政府招聘留学生)、パリ大学、ギメ東洋美術館、フランス国立図書館において調査研究を行って帰国すると、1952年4月から東京国立文化財研究所美術部第一研究室に研究員として勤務し1963年4月同室長。
東京大学文学部助教 ……
秋山光和さんが誕生してから、106年と189日が経過しました。(38906日)
亡くなってから、15年と257日が経ちました。(5736日)
33170日間 生きました。