生年月日データベース

有澤廣巳ありさわひろみ

経済学者[日本]

1896年 2月16日

1988年 3月7日 死去享年93歳
有澤廣巳 - ウィキペディアより引用

有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治29年)2月16日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。
位階は正三位。
法政大学元総長。
東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。
統計学が専門分野で、実証に徹した。
来歴・人物= 高知県出身。
高知中学を経て、第二高等学校卒業。
東京帝国大学では法学部から独立したばかりの経済学部の第一期生として統計学を糸井靖之の演習にて学ぶ。
また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。
大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。
1922年に同大学を卒業後、助手を経て1924年に同大経済学部統計学講座の助教授となる。
同年、同大講師の猪間驥一を大学から追放した。
1926年 - 1928年までは、同大学医学部助教授で同志の国崎定洞とともにドイツに留学。
そこでヴァイマル共和政に感銘を受け、帰国後、共和制打倒を掲げ台頭したアドルフ・ヒトラー率いるナチスを激しく批判した。
ファシズムの波が社会を覆った時代にあって、1938年2月、有沢は人民戦線事件により大内らと共に治安維持法違反で起訴され、東大を休職処分となる。
しかし結果として1944年9月に二審で無罪となる。
戦時中は昭和研究会で「日本経済再編成試案」を作成したところ、財界から反対され、陸軍の機関である秋丸機関に所属し、欧米と日本の経済比較を行った。
敗戦後の1945年、東大経済学部に教授として復帰すると、吉田茂の私的ブレーン ……

有澤廣巳さんが誕生してから、128年と278日が経過しました。(47030日)
亡くなってから、36年と259日が経ちました。(13408日)
33622日間 生きました。