山本富士子やまもとふじこ
女優[日本]
1931年 12月11日 生 (満92歳)
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。
本名は同じ。
愛称はお富士さん。
身長159cm。
日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。
来歴・人物=
山本富士子邸跡、京都寺町三条下ル
1950年代
1950年代
第1回(1950年度)ミス日本・山本富士子
1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。
母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。
少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。
自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。
1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
この時の審査や授賞式の模様を伝えた白黒ニュースフィルムが現存する。
1951年にミス日本として公式訪米し、ニューヨークのヤンキー・スタジアムでマリリン・モンローとジョー・ディマジオに会った。
ミス日本選出後、映画界からスカウトされるが、当初女優になる意思はなかった。
しかしスカウトが途切れず、悩んだ末、姉の「これからの女性は仕事を持つことよ」という言葉に女優になる決心をする。
ミス日本になってから3年後の1953年、映画会社の争奪戦の末、大映に ……
山本富士子さんが誕生してから、92年と346日が経過しました。(33949日)