桜井京子さくらいきょうこ
女優[日本]
(旧芸名・糸浦柳子)
1912年 12月2日 生
没年不詳
桜井 京子(さくらい きょうこ、1912年12月2日 - 没年不詳)は、日本の女優である。
本名池田 善子(いけだ よしこ)、旧芸名糸浦 柳子(いとうら りゅうこ)。
身長は5尺1寸(約154.5センチメートル)、体重は非公表である。
人物・来歴=
1912年(大正元年)12月2日、東京府東京市日本橋区葺屋町に生まれる。
旧制・千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)に進学するも、1927年(昭和2年)に中途退学し、同年2月、満14歳で松竹蒲田撮影所に入社した。
同年10月、入社早々に松竹下加茂撮影所に異動になり、「糸浦 柳子」の芸名を名乗って、同撮影所と製作提携をしていた衣笠貞之助が主宰する衣笠映画聯盟の製作、山崎藤江の監督による『天保悲剣録』に出演して、映画界にデビューした。
翌1928年(昭和3年)夏には、日活太秦撮影所に移籍し、「桜井 京子」と名を変えて、同年8月26日に公開された吉本清濤監督の『残されしもの』に出演している。
1933年(昭和8年)には、東活映画社を母体として東京・調布に設立された日本映画(のちの日活多摩川撮影所、現在の角川大映撮影所)に、映画監督の志波西果とともに移籍し、志波の監督作『旅合羽だんだら染』に出演する。
同社は短命に終わり、志波とともに同年、朝日映画連盟に移籍するが、満20歳にして起こした志波との恋愛スキャンダルのために同社を離れることになる。
同年夏には、京都の日活系トーキーの新会社太秦発声映 ……
桜井京子さんが誕生してから、111年と354日が経過しました。(40897日)