生年月日データベース

松平広忠まつだいらひろただ

戦国武将[日本]

(徳川家康の父、大永6年4月29日生)

(ユリウス暦) 1526年 6月9日

(ユリウス暦) 1549年 4月3日 死去享年24歳
松平広忠 - ウィキペディアより引用

松平 広忠(まつだいら ひろただ)は、戦国時代の武将。
三河国額田郡岡崎城主。
安祥松平家第4代当主。
松平清康の子。
母は青木氏(青木貞景もしくは青木弐宗)の娘。
徳川家康の父。
出自など= 生年= 多くの史料では、大永6年(1526年)4月29日出生としている。
また、「松平記」や「三河記大全」は天文18年(1549年)に24歳没としており、没年と享年から計算すると生年は等しくなる。
その他25歳没とするもの、また27歳没とするものもあり、同書の記述から逆算できる広忠の生年は大永3年(1526年)である。
「三河物語」は23歳没とするが年次の記述がない。
生母= 青木貞景の娘とされているが、清康の室であった松平信貞の娘とする異説もある。
兄弟= 松平信康(源次郎) 香樹院:吉良義安室。
松平信忠の娘「瀬戸の大房」の養女となる(同前。
また院号は「御九族記」による。
碓井姫:松平政忠の妻。
のち酒井忠次に再嫁。
「碓井姫」の名は「御九族記」および「寛政譜」2巻「酒井」による。
成誉上人:大樹寺14世住持。
通称は次郎三郎。
また岡崎三郎と称したことが発給文書より確認されている。
経歴(一説に)= 大永6年(1526年)4月29日、安祥松平家第3代当主・松平清康の長男として誕生。
幼名は竹千代とされるが、他にも複数伝わる。
森山崩れと井田野合戦= 天文4年(1535年)、広忠が10歳の頃に父・清康が家臣・阿部正豊に殺害される(森山崩れ) ……

「松平広忠」と関連する人物