生年月日データベース

足利基氏あしかがもとうじ

武将、初代鎌倉公方[日本]

(足利尊氏の四男、興国元年3月5日生)

(ユリウス暦) 1340年 4月2日

足利基氏 - ウィキペディアより引用

足利 基氏(あしかが もとうじ)は、南北朝時代の武将。
初代鎌倉公方(在職:正平4年/貞和5年9月9日(1349年10月21日) - 正平22年/貞治6年4月26日(1367年5月25日))。
後の古河公方の家系の祖でもある。
室町幕府初代将軍足利尊氏の四男で、母は正室の赤橋登子(登子の子としては次男)。
生涯= 誕生= 暦応3年(1340年)、父足利尊氏36歳、母赤橋登子35歳の時に誕生する。
幼名は光王とも亀若ともいわれる。
今川了俊は『難太平記』にて「光王御料」と呼んでいる。
基氏の兄弟には足利竹若丸・足利直冬・足利義詮・鶴王らがいる。
足利系図の中には基氏が叔父の足利直義の猶子となったと記すものが多い。
これに関しては、後述の鎌倉下向に際して直義の養子になったとする説と、基氏が5歳の時点で直義の猶子となっていたとする説がある。
後者の説は、康永3年(1344年)6月17日に、尊氏の実子かつ足利直義の猶子である男児が深削・着袴・学問始・弓始の人生儀式を催したという『師守記』の記録によるもので、この男児を『大日本史料』6編は足利直冬に比定しているが、深剃・着袴の儀礼は5歳頃に行われるとされており、特に着袴の儀礼は後の足利将軍家でも6代足利義教と義教の従兄弟が5歳の時に行われた事例がある。
このことから、この猶子の男児は当時23歳(最も若く見積もっても15歳)と推定される直冬ではなく、当時5歳の基氏ではないかという説である。
基氏が5歳の時点で直義の猶 ……

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