後桜町天皇ごさくらまちてんのう
第117代天皇[日本]
(元文5年8月3日生)
1740年 9月23日 生
1813年 12月24日 死去享年74歳
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう、1740年9月23日〈元文5年8月3日〉- 1813年12月24日〈文化10年閏11月2日〉)は、日本の第117代天皇(在位: 1762年9月15日〈宝暦12年7月27日〉- 1771年1月9日〈明和7年11月24日〉)。
諱は智子(としこ)、幼名は以茶宮(いさのみや)・緋宮(あけのみや)。
第115代桜町天皇の第二皇女。
母は関白左大臣二条吉忠の女で桜町女御の二条舎子(青綺門院)。
同母姉に早世した盛子内親王、異母弟に第116代桃園天皇。
2024年(令和6年)現在、皇室史における最後の女性天皇である。
生涯=
皇女・皇姉時代=
元文5年(1740年)、桜町天皇と、その正妻女御舎子(のちの青綺門院)の間の嫡出腹の皇女として生まれた。
舎子には皇子がなく、典侍定子(姉小路実武の娘)が生んだ皇子の八穂宮(のち茶地宮、遐仁親王、桃園天皇)が、舎子の「実子」として迎えられ、その御所で育てられた。
延享4年(1747年)、父桜町天皇の譲りを受けて異母弟の遐仁親王(桃園天皇)が即位。
寛延3年(1750年)3月、11歳となった緋宮に内親王宣下があり「智子」と名付けられたが、翌月に父桜町上皇が崩御した。
これにより、母の舎子は10歳の幼い天皇を「実母」として後見する立場となった。
同年10月、幕府より青綺門院舎子に1000石の御料増地があり、あわせて智子内親王に300石の御料進献があった。
成人前の皇女へ所領が進献されることは稀であり、朝廷は智子内親王を比丘尼御所に入寺させるこ ……
後桜町天皇さんが誕生してから、284年と58日が経過しました。(103789日)
亡くなってから、210年と332日が経ちました。(77035日)
26754日間 生きました。