生年月日データベース

松山容子まつやまようこ

女優[日本]

(1968年の発売以来"ボンカレー"のパッケージモデルを務め、「50周年記念発表会」ではビデオメッセージを送る)

1937年 11月30日 生 (満86歳)

松山容子 - ウィキペディアより引用

松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。
本名・田中 曠子(旧姓・出井)。
旧芸名は松山 清子。
愛媛県松山市出身。
1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。
略歴= 愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。
愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。
1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。
11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。
主に時代劇映画で活躍する。
1959年、芸名を松山容子に改名する。
大塚製薬広告 1960年(昭和35年)、テレビドラマ『天馬天平』(日本電波映画 / フジテレビ)で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となった。
ちょうど『崑ちゃんのとんま天狗』(東宝 / 讀賣テレビ放送)の後番組の企画を練っていたスポンサーの大塚製薬がこの人気に着目、この千也姫をモチーフとして、松山を主演に「男を凌ぐ剣の腕をもつ若武者姿の姫君」を主役にしたドラマ企画を打診し、『琴姫七変化』(日本電波映画 / 讀賣テレビ)が製作された。
毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・と、文字通り次々替わ ……

松山容子さんが誕生してから、86年と358日が経過しました。(31770日)

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