藤猪省三ふじいしょうぞう
柔道家[日本]
1950年 5月11日 生 (満74歳)
藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )は、日本の柔道家。
旧姓名:藤猪省三(読み同じ)
現役時代は対外国人選手で生涯無敗を誇り世界選手権大会4連覇を果たすなど、1970年代から1980年にかけて一世を風靡した名選手であったが、一方で3回チャンスがあったオリンピックを怪我やボイコットでことごとく棒に振った悲運の名選手でもあった。
現役を引退後は京都産業大学や天理大学で後進の指導に当たり、多くの五輪王者・世界王者を育て上げた名伯楽として知られる。
経歴=
香川県大川郡大内町(現・東かがわ市)出身。
町立大川中学校1年生の時に柔道を始める。
藤猪は当時身長150cm・体重50kg前後と平均的な体躯ながら大相撲の力士に憧れており、角界へ行くために「体を大きくするにはどんなスポーツをやれば良いか」を考え、「柔道だったら背が高くて大きくなるだろう」と思って入部する事にしたという。
柔道を始めて半年後には昇段審査に合格したが、初段は14歳以上という講道館の規定に従い段位の允許は保留となった。
昇段審査の翌日には県王者の高校生と乱取稽古を行い、肩車で投げられた際に右の鎖骨を骨折する大怪我を負う。
リハビリの後に何とか早く稽古を再開したいと痛みの少ない左組に変更した事が、右利きの藤猪が生涯左組となるきっかけになったという。
翌年には、左組からの袖釣込腰を得意として大川郡内の新人戦大会で優勝し、更には新たに持ち技に加 ……
藤猪省三さんが誕生してから、74年と194日が経過しました。(27223日)