梶山季之かじやまとしゆき
作家[日本(朝鮮)]
(別名義 : 梶季彦・梶謙介)
1930年 1月2日 生
1975年 5月11日 死去享年46歳
トップ屋の呼称は、扇谷正造に新宿の飲み屋で「おいトップ屋」と肩を叩かれたことから付いた。
この言葉がテレビドラマなどで使われて広く知られるようになり、梶山自身は後に『週刊公論』で「トップ屋自身が語る」を書いた。
月刊『噂』=
梶山と講演会で一緒になった伊藤整と、作家の裏話を集めて活字にしようという相談をし、梶山の担当編集者が毎月第三土曜に集まる「三土会」を編集母体、その中で高橋呉郎を編集長として1971年8月『月刊噂』を創刊した。
創刊号記事は特集「知られざる大宅壮一」、「内田百閒を偲ぶ座談会」、「阿部定と坂口安吾対談」(再録)など。
発行当初は政財界人の購読申し込みが多かったともいう[22]。
1974年3月まで全32冊を出して、5000万円の赤字を出して終刊。
また噂賞を制定し、受賞者は以下:
第1回 1973年 小説賞:藤本義一、さしえ賞:宮田雅之
第2回 1974年 小説賞:田中小実昌、さしえ賞:浜野彰親
第1回の賞金は10万円で、贈呈者は今東光が務めた。
1972年には噂発行所から第15次新思潮同人の自選作品集『愛と死と青春と』を刊行。
毎月1000枚以上の原稿を書き、何人もの女性たちと付き合いながら、13年間で書いた作品数は300冊を優に超える。
作品=
経済小説=
同人誌時代から行動力旺盛だった梶山は、『新思潮』でも営業部長を自任して広告取りなど金策に奔走し、輸出振興外貨資金制度やあずき相場も利用しようと情報を集めた。
この過程で小説化 ……
梶山季之さんが誕生してから、94年と323日が経過しました。(34657日)
亡くなってから、49年と195日が経ちました。(18092日)
16565日間 生きました。