生年月日データベース

奈良原一高ならはらいっこう

写真家[日本]

(本名・楢原一高)

1931年 11月3日

2020年 1月19日 死去心不全享年90歳
奈良原一高 - ウィキペディアより引用

奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - 2020年1月19日)は、日本の写真家。
経歴= 大牟田に生まれる。
本姓は楢原。
判事であった父親の転勤にともない日本各地を転々とし3歳から6歳までを長崎で過ごす。
1950年、島根県立松江高校(現・島根県立松江北高等学校)卒業。
1954年、中央大学法学部を卒業し、早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。
前衛美術に傾倒し、1955年には、池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。
桜島の黒神村、長崎の端島(軍艦島)における人々の生活から鮮烈な印象を受け、両島の取材を開始。
その成果を問うべく1956年5月に開催した初個展「人間の土地」が大きな反響を呼び、写真家としての道を進めた。
「人間の土地」は、福島辰夫や重森弘淹のような同世代の批評家たち、そして細江英公や東松照明のような若い写真家たちによって、圧倒的な支持を受ける。
その一方で、名取洋之助や土門拳(例:『サンケイカメラ』1956年9月号の「人と作品」欄の土門拳の発言)のような旧世代の編集者、写真家には嫌悪された。
1958年、個展「王国」で日本写真批評家協会賞新人賞を受賞。
1959年、東松照明・細江英公・川田喜久治・佐藤明・丹野章と、写真家によるセルフ・エージェンシー「VIVO」(エスペラント語でライフという意味)を結成(1961年解散)。
『ヨーロッパ・静止した時間』(1967)で、日本写真批評家協会賞作家 ……

奈良原一高さんが誕生してから、94年と38日が経過しました。(34372日)
亡くなってから、5年と327日が経ちました。(2153日)
32219日間 生きました。

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