砂川しげひさすながわしげひさ
漫画家、エッセイスト[日本]
(本名・砂川惠永)
1941年 10月11日 生
2019年 3月6日 死去鬱血性心不全享年79歳
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - 2019年3月6日)は、日本の漫画家、エッセイスト。
本名:砂川 惠永(すながわ しげひさ)。
略歴・活動=
沖縄県那覇市に生まれたが、一家が戦火を避けて1944年に宮崎県に疎開し、翌年に兵庫県尼崎市に移ったため、そこで育つ。
尼崎市立小田南中学校を経て、兵庫県立尼崎高等学校卒業。
中学生時代から高校生時代にかけ、毎日新聞阪神版や毎日中学生新聞の投稿コーナーの常連となったほか、寺田ヒロオが選者をつとめていた『漫画少年』『野球少年』の常連投稿者になり、やがて個人的な親交を結んだ。
高校時代は、美術部へ入部しつつ通信教育を受講し、デッサンの基礎を学んだ。
卒業後、塗料会社、農機具業界紙の編集プロダクションを経て、新大阪新聞の成人向け記事のイラスト・題字カット制作に従事。
腕前が認められ、『すたみなコイさん』で連載漫画デビュー。
そのかたわら、大阪・桜橋の画塾「クロッキー研究所」へ通い、改めて絵を勉強し直した。
新聞社の紹介で面会した大阪在住の児童漫画家・中村治之が東京で活動することをすすめ、砂川は1964年5月に上京し、持ち込み活動を開始。
同じように下積みをつづけていた同年代の秋竜山、谷岡ヤスジと知り合い、親交を結んだ。
砂川は中村の仲介によって知己を得ていたサトウサンペイに漫画サンデー編集長・峯島正行の紹介を受け、1969年、同誌で『寄らば斬るド』の連載 ……
砂川しげひささんが誕生してから、83年と41日が経過しました。(30357日)
亡くなってから、5年と261日が経ちました。(2087日)
28270日間 生きました。