生年月日データベース

岩橋邦枝いわはしくにえ

作家[日本]

1934年 10月10日

2014年 6月11日 死去腹膜炎享年81歳
岩橋邦枝 - ウィキペディアより引用

岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 - 2014年6月11日)は、日本の小説家。
本名、根本邦枝。
来歴・人物= 広島県広島市生まれ。
父・岩橋八洲民は植物学者で当時広島文理科大学副手。
1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。
佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。
当時の女性では先端的だったオートバイを駆り、マフラーを風になびかせ走らせた。
「逆光線」と「女子寮祭」が映画化され、短編集『逆光線』を上梓する。
1957年お茶大を卒業、執筆をやめ、英文タイピスト、別荘番などの職につき、『女性自身』で1年、社会面的なルポライター、『週刊平凡』で1年コラムを持つ。
1960年根本英一郎と結婚、一女を儲ける。
1965年から『小説現代』を中心に中間小説を書くが、1972年これをやめ、1974年野間宏の励ましで17年ぶりの純文学作品「日時計」を『文藝』に発表。
1975年と1976年、「暮色の深まり」「冬空」で芥川賞候補。
1982年『浅い眠り』で平林たい子文学賞、同年夫が急逝。
1986年夫 ……

岩橋邦枝さんが誕生してから、90年と42日が経過しました。(32915日)
亡くなってから、10年と163日が経ちました。(3816日)
29099日間 生きました。

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