生年月日データベース

天津乙女あまつおとめ

女優[日本]

1905年 10月9日

1980年 5月30日 死去享年76歳
天津乙女 - ウィキペディアより引用

天津 乙女(あまつ おとめ、1905年(明治38年)10月9日 - 1980年(昭和55年)5月30日)は、宝塚歌劇団団員(元月組主演クラス・月組組長)。
のちに同劇団理事をつとめた。
本名鳥居 栄子。
愛称エイコさん。
芸名は小倉百人一首収録の僧正遍昭の歌天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ(あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ をとめのすがた しばしとどめん)から命名された。
後輩の春日野八千代や神代錦とならんで「宝塚の至宝」と呼ばれた。
略歴= 1905年(明治38年)、東京に生まれる。
1918年(大正7年)に宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)初の東京公演が行われた際の生徒募集に応じて入団し、初瀬音羽子や久方靜子らと共に東京出身者として初の団員(生徒)となった。
歌劇「パリゼット」をはじめ、「棒しばり」「奴道成寺」など数多くの舞踊の作品に出演し、日本舞踊の名手として女六代目の異名をとった。
1933年( 昭和8年)3月、新設された舞踊専科の責任者に転属して以来後進の指導に尽力し、多くのスター団員を育てた。
1948年(昭和23年) 40年間にわたって日本舞踊に精進した功績が認められ、1958年(昭和33年)に紫綬褒章を受章している。
1980年(昭和55年)5月30日、在団のまま死去、享年75。
谷中霊園に墓があり(位置・甲1号1側。
桜通りから3基目、北側)、墓誌は本名「鳥居栄子」名義である。
没後、宝塚歌劇団100周年記念の2014年に殿堂入り。 ……

天津乙女さんが誕生してから、119年と43日が経過しました。(43508日)
亡くなってから、44年と175日が経ちました。(16246日)
27262日間 生きました。