宇都宮仙太郎うつのみやせんたろう
酪農家[日本]
(慶応2年4月14日生)
1866年 5月28日 生
1940年 3月1日 死去享年75歳
宇都宮 仙太郎(うつのみや せんたろう、1866年5月28日(慶応2年4月14日) - 1940年(昭和15年)3月1日)は、日本の実業家、酪農家。
北海道で初めて民間によるバターの製造を行ったほか、日本最初の酪農組合「札幌牛乳搾乳業組合」を組織し、雪印乳業(現:雪印メグミルク)の土台を築いた。
これらの業績から「北海道酪農の父」と称されている。
経歴・業績=
豊後の下毛郡大幡村(現在の大分県中津市)の養蚕家であった武原文平、母ヤスの二男として生まれる。
生家に伝わる家系図によれば、当初は仙二郎と命名されたが、戸籍簿に誤って「仙太郎」と記入されてしまい、これが本名となった。
後に母方の親戚・宇都宮武平の養嗣子となる。
少年時代は、村に小学校が無かったため、同郷の先輩である賀來素吉に論語や十八史略を学んだほか、賀來が熱心なキリスト教徒であったためその影響を受けた。
また、同郷であった福沢諭吉の著書を耽読した。
1877年(明治10年)に初めて村に小学校ができたためそこで1年間学び、中学校へ進学した。
1882年(明治15年)に政治家を志して上京し、共立学校に入学するも、政治家志望の生徒が数千人といることが分かると夢を諦めた。
その後畜産業に興味を持ち、福沢諭吉の推薦によって1885年(明治18年)、エドウィン・ダンが開設した札幌の真駒内牧牛場(場長は町村金弥)の牧童となった。
1887年(明治20年)4月に渡米し、アメリカ合衆国ワシントン ……
宇都宮仙太郎さんが誕生してから、158年と308日が経過しました。(58018日)
亡くなってから、85年と32日が経ちました。(31078日)
26940日間 生きました。