五島昇ごとうのぼる
東京急行電鉄 元社長[日本]
1916年 8月21日 生
1989年 3月20日 死去享年74歳
五島 昇(ごとう のぼる、1916年(大正5年)8月21日 - 1989年(平成元年)3月20日)は、日本の実業家。
東京急行電鉄社長・会長。
日本商工会議所会頭。
五島慶太の長男。
人物・来歴=
東京府東京市神田区駿河台(現・東京都千代田区神田駿河台)に、五島慶太、万千代(旧姓久米)の長男として生まれる。
学習院初等科、中等科 (旧制)、高等科 (旧制) を経て東京帝国大学経済学部を卒業。
学生時代は野球部に籍を置き捕手としてならしたが、のちにゴルフ部へ転部。
ゴルフがきっかけで知遇を得た東京芝浦電気副社長・津守豊治の紹介で同社に入社した。
昇には父の跡を継ぐ気がなかった。
慶太には昇と進という二人の息子がいた。
兄・昇は常日頃から父に反抗し「絶対に(父の)を跡を継がない」と放言していた。
一方、弟の進は父と瓜二つで、慶太も進に期待していたようだった。
ところが、海軍に入隊していた進は、1943年(昭和18年)にソロモン諸島で戦死してしまう。
進の戦死を聞いた父が打ちひしがれる姿を見て昇は改心し、跡を継ぐことを決意したという。
戦時中は、陸軍大尉として軍務に就く。
復員後の1945年(昭和20年)東京急行電鉄に入社。
川崎市元住吉にある車輌工場を経て、1948年に新発足した東急横浜製作所(現・総合車両製作所)常務、京浜急行電鉄取締役となる。
父の病気をきっかけに、1952年に東京急行電鉄本社に戻り、取締役になり、翌1953年に副社長 ……
五島昇さんが誕生してから、108年と92日が経過しました。(39539日)
亡くなってから、35年と246日が経ちました。(13030日)
26509日間 生きました。