林哲司はやしてつじ
作曲家[日本]
1949年 8月20日 生 (満75歳)
林 哲司(はやし てつじ、1949年8月20日 - )は、日本の作曲家、編曲家、シンガーソングライター。
静岡県富士市出身。
来歴・人物=
静岡県立富士高等学校、日本大学商学部卒。
五人兄弟の末っ子として生まれる。
幼少の頃から兄の影響で米国のポップスを聴いて育った。
20歳の頃にヤマハが主催する音楽スクールに入り、その後ヤマハの音楽雑誌「ライトミュージック」の編集などに携わる。
1972年、ヤマハ主催の第3回世界歌謡祭チリ大会に自作の『それが恋の終りなら』を応募したことをきっかけに、1973年4月にシンガーソングライターとしてデビュー。
1975年、PMPの朝妻一郎と笹島斌により、大橋純子の歌などが入った林作のデモテープが、フランス・カンヌのMIDEM(音楽見本市)に出展される。
収録曲「If I have to go away」がイギリスのロックバンド・ジグソーのプロデューサーから気に入られ、当初ジグソーのアルバム曲として収録する予定であったが、思いの外完成度が高かったことから、シングルとして1977年リリース、全英・全米共にチャートインを収めた。
その後作曲家・編曲家としての活動が中心となり、1980年代に入ると、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、原田知世「愛情物語」、菊池桃子「卒業-GRADUATION-」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 -Never Ending Summer-」、河合奈保子「デビュー〜Fly Me To Love」など、多数のヒット楽曲 ……
林哲司さんが誕生してから、75年と93日が経過しました。(27487日)