澤井信一郎さわいしんいちろう
映画監督[日本]
1938年 8月16日 生
2021年 9月3日 死去多臓器不全享年84歳
澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 - 2021年9月3日)は、日本の映画監督。
経歴=
静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身[1][2]。
父は代用教員を経て呉服屋を経営[3]。
兄は四日市公害関係の記録人である沢井余志郎。
中学時代はハーモニカに熱中。
静岡県立浜松北高等学校ではドイツ文学に熱中し、テオドル・シュトルムなどを読み耽り、その延長線上で東京外国語大学ドイツ語科に進学。
学生運動に深入りし同大学社会主義学生同盟の主要メンバーとなるが、60年安保を機に運動から離れる[3]。
同大学卒業後[4]、1961年東映入社[4]。
マキノ雅弘に師事した[4]。
1981年、『野菊の墓』で映画監督デビュー[5]。
1985年、『早春物語』で第26回日本映画監督協会新人賞を受賞した[6]。
2021年9月3日午後7時5分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去[7]。
83歳没。
死去公表時には妻が、「しばらく闘病生活を続けており、もう一度映画の現場に立つことを夢見ておりましたが、かなうことなく旅立ちました。
澤井の監督した作品をもう一度ご覧いただき、しのんでいただくのが何よりの供養になることと思います。
」とコメントを発表した[8]。
2024年には「Wの悲劇」のロケ地となった調布市で資料展が開催された[9]。
フィルモグラフィー=
映画=
監督=
野菊の墓(1981年)
Wの悲劇(1984年) - 兼脚本
早春物語(1985年)
Apartment Fantasy めぞん一刻(1986年)
恋人たちの時刻(1987 ……
澤井信一郎さんが誕生してから、86年と318日が経過しました。(31730日)
亡くなってから、3年と300日が経ちました。(1396日)
30334日間 生きました。