黒田杏子くろだももこ
俳人[日本]
1938年 8月10日 生 (満86歳)
黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 2023年3月13日)は、日本の俳人。
来歴=
東京市本郷生まれ。
父は開業医。
1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。
栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学。
大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。
東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。
テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。
この間、10年ほど作句を中断。
1970年、青邨に再入門。
青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。
日本経済新聞俳壇選者。
日本ペンクラブ会員。
2023年3月13日、脳内出血のため死去。
84歳没。
戒名は随琴院文春杏麗大姉。
人物=
代表句に「白葱のひかりの棒をいま刻む」「一の橋二の橋ほたるふぶきけり」など。
「季語の現場人」と自ら名付けた姿勢を作句の基本とし、平明な表現で季語を生かす句風を特徴とする。
結社活動も含め俳人として精力的な活動を行っており、おかっぱ頭、モンペ姿のトレードマークで親しまれている。
女流では宇多喜代子らと並び称される存在である。
句作を再開した1970年から同時に「日本列島桜花巡礼」を発心、30年かけて全国の桜を巡り「桜」の俳人としても知られる。
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黒田杏子さんが誕生してから、86年と103日が経過しました。(31515日)