生年月日データベース

野見山暁治のみやまきょうじ

画家[日本]

1920年 12月17日

2023年 6月22日 死去心不全享年104歳
野見山暁治 - ウィキペディアより引用

野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12月17日 - 2023年〈令和5年〉6月22日 )は、日本の洋画家。
位階は従三位。
勲等は文化勲章。
東京芸術大学名誉教授、文化功労者。
本名は「暁」が旧字体の野見山 曉治であり、文化勲章受章時の名簿でもそのように記載されている。
来歴= 福岡県穂波村(現飯塚市)にて、炭鉱経営者の子として生まれる。
東京美術学校(現東京芸術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。
帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。
2023年6月22日、心不全のため死去。
102歳没。
日本政府より没日付を以て従三位に叙された。
親族= 私生活では二度結婚もいずれも先立たれた経験をもつ。
最初の妻、内藤陽子はフランスに呼び寄せてわずか1年でがんを発症。
闘病の末に早世した。
陽子は内藤武宣(京都放送元常務、竹下登の娘婿)の姉であるため、武宣の子である影木栄貴(漫画家)とDAIGO(歌手)姉弟は野見山からみて義理の姪甥に当たる。
後妻に福岡で有名な高級クラブ「みつばち」を経営していた武富京子を迎え、別居結婚の形をとるもたびたび九州へ足を運んでいた。
九州滞在時は20代から癌などの病歴があった後妻を健康面・店の経営面両面から支え続けた。
後妻は後年までクラブを切り盛りするも、2001年、体力の限界などから ……

野見山暁治さんが誕生してから、103年と352日が経過しました。(37973日)
亡くなってから、1年と166日が経ちました。(531日)
37442日間 生きました。

推定関連画像