市田ひろみいちだひろみ
女優、服飾評論家[日本]
1932年 7月10日 生
2022年 8月1日 死去急性呼吸不全享年91歳
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。
新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。
来歴・人物=
大阪府大阪市大正区出身。
京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。
父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。
1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。
母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。
父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
大学卒業後は技術部長の秘書としてヤンマーディーゼルに就職、秘書業務のほか、自社の耕運機の宣伝カタログでモデルをつとめるなどした。
その後、稽古事として習っていた茶道(裏千家)・華道(未生流)の師匠長岡宗美に推薦され、映画会社の大映に所属。
当時、大映京都撮影所の所長宅に出入りして夫人に茶道の稽古をつけていた長岡は、所長の酒井箴から弟子の中に女優候補がいないか打診されていた。
周囲の反対を押して秘書から女優に転身したものの、いわゆる大部屋の末席扱いで[17]、大した仕事もなく、おもに時代劇の端役などで、どん底の1年余りを過ごした[18]。
退職を考え出した頃、吉村公三郎の監督映画 ……
市田ひろみさんが誕生してから、92年と135日が経過しました。(33738日)
亡くなってから、2年と113日が経ちました。(844日)
32894日間 生きました。