生年月日データベース

竹山広たけやまひろし

歌人[日本]

1920年 2月29日

2010年 3月30日 死去慢性閉塞性肺疾患享年91歳

竹山 広(たけやま ひろし、1920年(大正9年)2月29日 - 2010年(平成22年)3月30日)は、日本の歌人。
本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。
概要= 原爆歌人として名高いが、格調高い自然詠、エスプリの効いた社会詠、身の周りのことを題材にしたユーモラスな日常詠も数多く詠んでいる。
また、詠んだ短歌を基にした合唱曲がつくられたことでも知られている。
第一歌集を出版したのが61歳というかなり遅咲きの歌人である。
本名は旧字体の「竹山廣」だが、筆名としては新字体の「竹山広」名義を用いることが多かった。
来歴= 生い立ち= 1920年、長崎県北松浦郡南田平村(現、平戸市田平町)にて生まれた。
隠れキリシタンの家柄であったという。
1939年、旧制海星中学校を卒業した。
卒業後は、福岡地方専売局の長崎出張所に勤務した。
子供のころから短歌に取り組んでおり、1941年には短歌結社「心の花」に入会した。
戦中= 1945年、肺結核で喀血し、長崎市浦上第一病院に入院した。
退院予定日の8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、爆心地から1.4キロメートルの地点にあった病院にて被爆した。
奇跡的に軽傷で済むが、退院する竹山を迎えに来るはずだった兄を目の前で喪った。
戦後= 1958年、『短歌風光』に初めて原爆詠を発表。
1964年、長崎市にて印刷業を開業した。
並行して短歌にも精力的に取り組む。
1973年、「八月」で第19回角川短歌賞候補。
1981年、第1歌集『 ……

竹山広さんが誕生してから、104年と266日が経過しました。(38252日)
亡くなってから、14年と236日が経ちました。(5350日)
32902日間 生きました。

「竹山広」と関連する人物

推定関連画像