生年月日データベース

村山知義むらやまともよし

作家、芸術家[日本]

1901年 1月18日

1977年 3月22日 死去享年77歳
村山知義 - ウィキペディアより引用

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。
日本演出者協会初代理事長。
息子の村山亜土は児童劇作家。
略歴= 出生・学生時代= 東京市神田区(現・東京都千代田区)末広町において、父知二郎、母元子の長男として生まれる。
父は福島県に1873年に生まれた海軍の軍医で、叔父の三浦守治はドイツ帝国に留学経験のある病理解剖学を専門とする東京帝国大学教授。
1904年に父は結核となり、妻と弟の忠夫とともに横須賀の走水に転居したが、知義は東京に残った。
1906年、療養をかねて沼津市で内科病院を開業したが、1910年(明治43年)に死去した。
1913年(大正2年)、東京の私立開成中学校に入学する。
母の師であった内村鑑三に師事し、キリスト教に心酔。
中学2年のとき、母が勤める婦人之友社より刊行の『少女之友』に短編「二人の伝道師」を掲載。
なお母の元子はこのころ同誌上に多くの短編を発表している。
1915年(大正4年)、水彩画が日本水彩画会展に入選。
1918年(大正7年)、旧制高校入試準備中、反戦を主張するキリスト教への信仰から同級生に身体的な暴力を受け、また学内で同期であった戸坂潤らの影響によりショーペンハウアー、ニーチェなどを紹介され、熱中、最終的にはキリスト教を棄教する。
この体験については、のちの『演劇的自 ……

村山知義さんが誕生してから、125年と13日が経過しました。(45669日)
亡くなってから、48年と315日が経ちました。(17847日)
27822日間 生きました。

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