大木淳吉おおきじゅんきち
映画監督[日本]
(別名義・大木淳)
1940年 11月23日 生
1996年 12月13日 死去肺がん享年57歳
大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - 1996年12月13日
)は、日本の映画監督。
別名:大木 淳。
法政大学経済学部卒。
人物=
1964年、サンケイ映画社でのドキュメンタリーなどを経て円谷特技プロダクションに入社。
円谷英二に師事し、『ウルトラQ』で本編班演出部助監督と『マグマ大使』で特撮助監督、『ウルトラマン』で特撮班助監督を手掛け、『快獣ブースカ』で特殊技術デビュー。
実相寺昭雄とコンビを組むことが多く(『無常』『曼陀羅』などでは助監督にもついている)、デビュー作の『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」、現在欠番作品となった第12話「遊星より愛をこめて」のほか、映画『帝都物語』(1988年、東宝)のビジュアルスーパーバイザー、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の特技監督を手がけた。
没後も『ウルトラマンティガ』の実相寺昭雄の監督作品(37話、40話のみ。
株式会社コダイ制作分)にプロデューサーとしてクレジットされている。
実相寺担当の2話は大木の弔い合戦として制作されたものである。
『帰ってきたウルトラマン』第32話「落日の決闘」では本編監督も兼任した。
これ以降、本編監督としての参加もふえ、『ミラーマン』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』『ウルトラマンレオ』では、特撮監督は担当せず、本編のみを監督していることも多い。
とくに『ファイヤーマン』は1〜2話や重要な話の演出を手がけ、実質的なメイン監督 ……
大木淳吉さんが誕生してから、83年と363日が経過しました。(30679日)
亡くなってから、27年と343日が経ちました。(10205日)
20474日間 生きました。