鎌田実かまだみのる
元プロ野球選手、解説者[日本]
(阪神で内野手として活躍。)
1939年 3月8日 生
2019年 8月1日 死去享年81歳
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。
人物・来歴=
プロ入り前=
男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。
父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。
長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。
買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。
淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。
鎌田は誰もが目を見張る野球少年に成長し、洲本高校では同期のエース蔦行雄を擁して、4番打者、遊撃手として活躍。
2年次の1955年には秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、渡海昇二らのいた芦屋高に9回サヨナラ負け。
3年次の1956年には夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、県尼崎高の今津光男の好投に抑えられ、またも9回サヨナラ負け。
甲子園出場はならなかったが、プロのスカウトが神戸から船に乗って島に来た。
鎌田は「大阪だけは嫌。
行かんよ」と言い続け、中日の佐川直行スカウトが強く鎌田を求めた。
同じ頃には巨人の水原茂監督が人を介して鎌田獲得に本腰を入れ ……
鎌田実さんが誕生してから、85年と259日が経過しました。(31305日)
亡くなってから、5年と113日が経ちました。(1939日)
29366日間 生きました。