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脇坂安政わきざかやすまさ

播磨国龍野藩初代藩主[日本]

(寛永10年2月19日生)

1633年 3月28日

1694年 5月13日 死去享年62歳

脇坂 安政(わきざか やすまさ)は、江戸時代前期の大名。
信濃国飯田藩の第2代藩主、播磨国龍野藩の初代藩主。
龍野藩脇坂家3代。
官位は従五位下・中務少輔。
後にその出自により譜代大名(願譜代)となる(後述)。
脇坂家が現在に至るまで「龍野の殿様」として慕われる土台を作った人物である。
生涯= 寛永10年(1633年)、堀田正盛の次男として誕生する。
当時信濃飯田藩主であった脇坂安元の嗣子・安経が、備中松山藩初代藩主・池田長幸の遺領についての話し合いの席で池田長頼に殺害されたため、安元は堀田正盛の弟・安利を養子に迎えたが、19歳で亡くなる。
そこで安元は、安利の甥にあたる正盛の次男・安吉(安政)を寛永17年(1640年)に養嗣子として迎えた。
養嗣子となってからは、名君として知られた養父・安元の下で飯田藩の経営にも深く関わっている。
また、養嗣子となった同年に3代将軍・徳川家光に拝謁している。
慶安4年(1651年)には従五位下・中務少輔に叙任されている。
承応3年(1654年)に養父の死により家督相続。
この際、襲封した5万5000石のうち2000石を安元の弟である脇坂安総に分知している。
万治元年(1658年)、江戸城の本丸修営に携わっている。
また他にも、後に3度の大坂城加番や青蓮院法親王、勅使に対して馳走職を担当するなど、幕政に貢献している。
万治3年(1660年)、下総国佐倉藩10万石の藩主であった安政の実兄・堀田正信は、旗 ……

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