上野清章うえのきよあき
元競馬騎手、調教助手[日本]
(旧登録名・伊藤清章)
1950年 2月7日 生 (満74歳)
上野 清章(うえの きよあき、1950年2月7日 - )は、福岡県出身の元騎手・調教助手。
1975年から1987年までは婚姻により姓名を変更し「伊藤 清章」(いとう きよあき)を名乗った。
同じく元騎手の久保(古賀)敏文とは遠戚にあたる。
尚、伊藤修司との区別のため、本項では上野姓時代を含めて、氏名を「清章」と記述する。
来歴=
1969年3月に騎手免許を取得し、栗東・梶与三男厩舎からデビュー。
同期には楠孝志・須貝四郎・田村正光・内田国夫・中島敏文・西浦勝一がいる。
1年目の1969年は同1日の中京第1競走4歳未勝利・ヒヨシエース(17頭中13着)で初騎乗を果たし、6月7日の京都第1競走アラブ系3歳・ヒヨシプリンスで初勝利を挙げる。
同年は8勝(平地7勝, 障害1勝)をマークし、新人では楠の26勝、田村の25勝、須貝の11勝に続く成績であった。
2年目の1970年は28勝と勝ち星を増やしたほか、初勝利時の騎乗馬であるヒヨシプリンスでタマツバキ記念(秋)を制して重賞初制覇を達成。
同年2月21日の京都第4競走障害5歳以上未勝利では転向初戦の九州産馬・キングスピードに騎乗して初勝利に導くが、同馬は転向後10戦無敗で同年の啓衆社賞最優秀障害馬を受賞している。
1973年には阪神障害ステークス(秋)・カネロンドで重賞2勝目を挙げ、本格化前のグランドマーチスを6着に下している。
梶厩舎に所属していた頃は遊びたい盛りの年頃で、しばしば夜になると、弟弟子の安田隆行に「先生が来 ……
上野清章さんが誕生してから、74年と287日が経過しました。(27316日)