式守伊之助しきもりいのすけ
相撲行司・16代目[日本]
1892年 6月20日 生
1948年 12月3日 死去胃がん享年57歳
式守 伊之助(しきもり いのすけ)は、大相撲の立行司の名前。
行司としては木村庄之助に次ぐ二番目の地位で、番付の西正位横綱に相当する。
解説=
この名跡は代々三役格から立行司に昇格する行司が襲名しており、軍配に紫白の房、装束に紫白の菊綴じを着用し、庄之助同様に短刀を左腰に差し、右腰に印籠を下げる。
本場所の本割では一日に三役格以下十両格までと同様に二番を合わせる。
優勝決定戦においては、幕内最高優勝の決定戦で、出場力士の最高位が横綱・大関の場合に立行司が裁くが、現在はその場合、庄之助と伊之助のどちらが裁くかは事前に定めてもう一方が控えとなる。
行司停年制実施前の1958年限りで庄之助同様に年寄名跡より除かれた。
それ以前には歴史上相撲部屋として「式守伊之助部屋」が存在したこともあった。
現存する行司2家のうち式守家は初代伊之助が式守姓を名乗ったことに由来するといわれる。
明治年間に本場所で勧進元を務めた伊之助が開催直前に亡くなり、いわゆる「位牌勧進元」が続いた。
5代、6代、7代、8代、9代と5人続けて現役で亡くなり、14代は1926年1月場所から襲名となるが伊之助として土俵に上がることなく前年暮れに亡くなった。
1926年1月場所の番付は14代として「式守伊之助」と書かれている。
のちに「伊之助の祟り」とも喧伝されて恐れられた。
またその前後で伊之助を襲名した13代と15代もそれぞれ19代と20代の木村庄之助を襲名 ……
式守伊之助さんが誕生してから、133年と164日が経過しました。(48742日)
亡くなってから、76年と364日が経ちました。(28123日)
20619日間 生きました。



