片桐石州かたぎりせきしゅう
大和小泉藩主、茶人[日本]
(諱・貞昌、茶道石州流の祖、慶長10年生)
1605年 生
1673年 12月27日 死去享年69歳
片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代前期の大名、茶人。
大和小泉藩の第2代藩主。
茶道石州流の祖として片桐石州(かたぎり せきしゅう)の名で知られる。
生涯=
慶長10年(1605年)、大和小泉藩初代藩主・片桐貞隆の長男として摂津茨木で生まれる。
賤ヶ岳の七本槍の一人である片桐且元の甥にあたる。
慶長19年(1614年)、大坂の陣のおり伯父・且元の人質として徳川家臣の板倉勝重に預けられる。
元和3年(1617年)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に拝謁、片桐家の嫡子として認められる。
寛永元年12月28日(1624年)に従五位下、石見守に叙任される。
以後この官名により、片桐石州と呼ばれるようになる。
寛永4年(1627年)、父の死去により家督を継いだ。
このとき、弟の貞晴に3000石を分与したため、小泉藩は1万3000石となった。
寛永10年(1633年)から寛永18年(1641年)まで知恩院再建の普請奉行を務めた。
普請を終えるまでの間、綾小路柳馬場に居を構えて金森宗和、小堀遠州、松花堂昭乗らと交友した。
また、大徳寺の玉室和尚、玉舟和尚に参禅し、寛永15年(1638年)には玉室和尚より三叔宗関の道号を受け、大徳寺山内に高林庵を建立している。
知恩院の再建後は関東郡奉行などを歴任し、水害地の視察にしばしば出張するなど土木建築の分野で功績を挙げた(正保2年(1645年)遠州辺・関東の堤防巡視、正保4年(1647年)相州馬入川の渡口修復巡視、慶安3年(1650年)伊勢 ……
亡くなってから、350年と326日が経ちました。(128164日)