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内藤誠ないとうまこと

映画監督脚本家[日本]

1936年 3月6日 生 (満88歳)

内藤 誠(ないとう まこと 1936年3月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家、著述家。
元中部大学人文学部教授。
元日本大学芸術学部映画学科講師。
人物・来歴= 愛知県名古屋市出身。
愛知県立刈谷高等学校を経て、1959年、早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業。
唯一、受けた東映の入社試験に合格、東京撮影所に配属される。
受験に当たっては師事する木村毅から紹介された雪代敬子に保証人を頼んだ。
佐伯清、成澤昌茂、マキノ雅弘、石井輝男らの助監督を経て1969年に監督に昇進し、主に当時の東映の主流である東映京都撮影所作品などの併映作品、俗に言う「B面映画」の職人監督として活躍した。
山下耕作監督『釜ケ崎極道』のB面『ネオンくらげ』は「傑作青春ムービー」、深作欣二監督『仁義なき戦い 代理戦争』のB面『番格ロック』は「女性バードボイルド映画の傑作」と評される。
1979年、東映の子会社東映セントラルフィルムで撮った『十代 恵子の場合』を最後に東映を退社、フリーとなる。
その後の活動はインディペンデント映画、テレビドラマ、特撮、アニメ、教育映画など、多岐に渡る。
1981年には千葉真一主演の『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』の脚本を執筆。
1984年の正月映画では4本もの作品に脚本として関わった。
また、筒井康隆作品を2作(『俗物図鑑』『スタア』)映画化している。
一方で著述家、翻訳家としても活動。
1993年にはイアン・マッカーサー ……

内藤誠さんが誕生してから、88年と260日が経過しました。(32402日)

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