田村孟たむらつとむ
脚本家[日本]
1933年 1月5日 生 (満91歳)
田村 孟(たむら つとむ、1933年1月5日 - 1997年3月28日)は日本の脚本家、映画監督。
青木 八束(あおき やつか)名義で小説家としても活動した。
来歴・人物=
群馬県甘楽郡妙義町(現・富岡市)出身。
東京大学文学部国文学科卒(卒業論文は「内村鑑三研究序説」)。
高校生時代、大学生時代とも演劇をやっていたが、日本映画を一本も見たことが無く、映画監督などにもなる気は無かったという。
元々新聞記者志望で、産経新聞に入社が内定していたが、「胸に影あり」と診断されたことで採用が先延ばしになり、改めて松竹の試験を受け、1955年、松竹大船撮影所に入社。
大島渚、石堂淑朗らと松竹ヌーヴェルバーグに関わる。
1960年、映画監督として『悪人志願』を一本だけ手掛けるが、本人曰くこの作品は「全然ヒットしなかった」とのこと。
1961年8月に松竹退社。
同年11月、大島らとともに独立プロダクション「創造社」を設立する。
大島作品を中心に脚本家として活躍し、キネマ旬報脚本賞を四回受賞している(『絞死刑』『少年』『儀式』『青春の殺人者』)。
1997年2月6日未明、意識不明となり、東邦大学附属大橋病院に入院するが、3月28日に逝去。
満64歳没。
「青木八束」名義で小説を発表し、「蛇いちごの周囲」で第36回文學界新人賞(1973年)受賞。
同作品は第69回芥川賞(1973年上期)の候補にもなった。
「世を忍ぶかりの姿」(映画批評1973年7月号)、「目螢の一個より ……
田村孟さんが誕生してから、91年と320日が経過しました。(33558日)