横山菁児よこやませいじ
作曲家[日本]
1935年 3月17日 生
2017年 7月8日 死去肺炎享年83歳
横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。
広島県広島市出身。
来歴・人物=
両親とも学校の教員。
小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。
本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。
小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。
ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。
これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
ただ本人は、それまでピアノは弾けても自分で五線紙に譜面を書くことは無かったという。
高校2年生の時に自ら「もうこの学校で勉強することは無くなった」ということを校長に打ち明けたところ、上京を勧められ、校長から直接父親に許可を取り付けた上で上京、国立音楽高校(現・国立音楽大学附属高等学校)に編入。
高校卒業後、国立音楽大学作曲科入学。
映画音楽よりもマスメディア方面での音楽がやりたかったということで、学校の先生などしながらではなく ……
横山菁児さんが誕生してから、89年と250日が経過しました。(32757日)
亡くなってから、7年と136日が経ちました。(2693日)
30064日間 生きました。