生年月日データベース

内海英華うつみえいか

三味線奏者、道楽師[日本]

1960年 6月17日 生 (満64歳)

内海 英華(うつみ えいか、1960年6月17日 - )は、日本の上方寄席囃子三味線奏者、女道楽師。
本名∶田中 愛子。
上方落語協会会員。
松竹芸能所属。
現代における上方寄席囃子三味線の第一人者である。
大阪府大阪市出身。
初芝高等学校(現・初芝立命館中学校・高等学校)卒業。
来歴= 少女時代から落語に興味を持ち、特に2代目桂春蝶のファンだった。
中学卒業時と高校2年修了時に春蝶に入門を志願したが断られている。
学生時代はソフトボール部所属で、ポジションはキャッチャー。
その後も寄席に出入りしているうちに講談の3代目旭堂南陵の知遇を得、1978年に南陵に入門、旭堂 南蝶を名乗る。
1979年に新世界新花月で初舞台。
しかし病を得たこともあり1年で廃業。
1981年に漫才の内海カッパに入門し現在の芸名を名乗る。
「おんな放談」で一世を風靡した吾妻ひな子にも興味を持ち、ピン芸人志向が強かったこともあって、入門後三味線の稽古を始め、1982年、カッパから紹介された寄席囃子三味線方の桑原ふみ子(長唄の杵屋柳翁)に師事。
桑原 あい子の名を許され、1984年より寄席囃子を始める。
並行して漫談師としても活動。
2002年、2代目桂春団治五十回忌追善興行に参加した事がきっかけで、春団治未亡人の河本寿栄(先代 桂春駒)のもとで、上方では長く絶えていた演芸「女道楽」の復活に乗り出す。
最近は海外での英語を取り入れた高座やジャズとのコラボ ……

内海英華さんが誕生してから、64年と157日が経過しました。(23533日)

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