生年月日データベース

音無秀孝おとなしひでたか

競馬調教師[日本]

1954年 6月10日 生 (満70歳)

音無秀孝 - ウィキペディアより引用

音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 - )は、宮崎県出身の現調教師・元騎手。
来歴[編集] 中学卒業後に大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意。
1973年から栗東・田中好雄厩舎に騎手見習として入門し、1975年からは好雄の実子である田中良平厩舎に移籍。
1979年に同厩舎からデビューし、栗田伸一・安達昭夫・田中剛・菅沼輝正と同期になる。
3月3日の阪神第1競走アラブ系4歳以上オープン・サカエホーオー(7頭中7着)で初騎乗を果たすが、勝ったのは1977年最優秀アラブ馬ミサキシンボルで、鞍上は初騎乗初勝利の栗田であった。
1年目の同年は11月11日の福島第6競走4歳以上400万下・シンヤマト、第10競走4歳以上400万下・コーヨーローズで共に2着などがあったが、初勝利には届かず0勝に終わる。
2年目の1980年7月20日に小倉第5競走4歳未勝利・ヒノサトで初勝利を挙げるが、ヒノサトの馬主は当時、田中良厩舎に所有馬の多くを預けていた小田切有一であった。
音無は若い頃から小田切に可愛がられ、現在も「秀ちゃん」と呼ばれている。
2年目の同年は2勝を挙げ、3年目の1981年には4勝をマークするが、4勝中3勝はアラブのエアーシャトルで挙げた。
1982年には同馬のシュンエイ記念で重賞初騎乗を果たし3着に入り、小田切所有のミスラディカルで京都牝馬特別を制して重賞初制覇をマークする。
エリザベス ……

音無秀孝さんが誕生してから、70年と47日が経過しました。(25615日)